'98尼崎シティ国際マラソンの思い出
Bloggerに引っ越して初の大会レポです。
記念すべき初大会レポは私の初フルマラソン、尼崎シティ国際マラソンです。1998年に出場した大会です。ゲェーッ!今から25年以上も前じゃないですか!!ふ、古い……。
まぁ、とりあえず振り返っていきましょう(ちなみに今回の内容は引越し前のブログからコピペ&少し修正したものになります)
大学ではマラソンサークルに所属し、練習は定期的に大学のトラックでぐるぐる走ることぐらいしかしてませんでした。本格的な陸上部ではなく、いたって健全かつ平和なサークル活動でしたね。とは言えサークル内には強い先輩がおられたので、その先輩と1000m程をダッシュしたりして、スピード練習もしていました。
ちなみにこのサークルでとあるランナーと出会うのですが、まさか彼とは今現在までお付き合いすることになるとは。
その彼の名はオーシャン殿。サンダルスタイルを貫き、走ることに関して飽くなき探究心を持った偉大なる変なランナーです。オーシャン殿に関しては今後このブログで度々登場するので、必ず名前を覚えて帰って下され。試験に出ます(笑)
さてさて、そんな健康的なサークルに入って初めての冬、初めてのフルマラソンに挑戦した訳です。
その大会は「'98尼崎シティ国際マラソン」です。
当時のデータは以下のとおり。
【日時】1998年11月22日(日)
【会場】JR尼崎駅下車徒歩5分 尼崎市記念公園陸上競技場
【関門】18km(12:57) 24km(13:50) 33km(14:54) 38km(15:20) ゴール(start10:31から5時間30分以内に完走)
【参加人数】1605人
【参加費】4,800円
【参加賞】ゼッケン、完走証、エネルゲン
【給水】5km毎
【記録】4:09'05"
初フルマラソンということでしたが、走る前はフルマラソンがどういうものか解っていませんでした。それまでの最長距離は10kmぐらいなので、その4倍を走れば良いのか~といった程度にしか考えていませんでした。そう、甘く見ていたのです。
ちなみに当時の10kmのタイムは40分切るか切らないかぐらい。中学3年の時には36分台で走れてましたが、高校は帰宅部だったので自然とタイムは落ちます。しかし10kmを40分程度なので、単純に4倍とプラスアルファで3時間ジャストくらいでゴール出来ると考えていました(笑)
そう、私はアホだったのです。
サークルの先輩達は4時間前後。速い人は3時間前半ということで、もしかしたらサークル内トップになれるとでも思っていたのでしょうか? 当時の自分に声を掛けることが出来るのなら「フルマラソンをなめんじゃねえ!」と強く説教してやりたいです。
さてさて、当時の走る格好と言えば、やはり主流は白の綿シャツです。今みたいに吸湿速乾性のシャツなんてトップ選手以外は着ていなかったと思います。パンツは何を履いていたか忘れましたが、おそらくスポーツ店で買ったハーフパンツ。学生時代の時に一番よく使っていたランバードのパンツだったと思います。
ランバードという名が懐かしいですね。今はミズノに統一ですが。
ちなみにハーフパンツに下には普通にトランクスを履いて走ってました。実は今も履いて走ることは多いですが……。
そして一番大事なシューズなんですが、これが全く覚えていないのですねぇ~。
おそらく近所のダイエーで購入したランニングシューズだったと思いますが、メーカーは覚えてませんねぇ。とにかく安いシューズだったと思います(笑)
キャップは被っていなかったと思いますが、被っていたとしたら「但馬ミニミニ駅伝」のキャップだったと思います。村岡に住んでいた祖父の形見の品でして、これを被って高校の頃は近所をジョギングしていましたから。
装備はそれぐらい。ちなみにジェルは無し。当時はまだジェルは主流じゃなかったと思います。
5km毎に給水があるので、水分さえ摂取できれば問題なしという考えでした。ちなみにエイドは本当に水だけだったような気がする。スポーツドリンクもあったんかなぁ? あまり記憶にありません。
ただ32km地点にはアンパンがあるということだけ鮮明に覚えております。これはサークルの先輩方に教えてもらっていて、そのエイドで何個アンパンを食べるかを競っていましたね(笑)
そんな具合に水とアンパンだけを頼りに走るのが当時のマラソンだったと思います。
さて、それではレース内容について思い出してみましょう。
スタート時刻は10時31分という違和感のある時間。どうして10時半ちょうどではないのか?
残っている資料に10時31分と書いてあるので、それを信じて記しております。
さてさて、スタートしてすぐは先輩の一人・K川さんが見える位置で走っておりました。
コースは武庫川河川敷がメイン。陸上競技場からスタートして、しばらくは市内を走るようなコースだったそうですが、記憶にあるのは河川敷のみ。とにかく河川敷しか走っていないという記憶です(笑)
さて、K川さんについて走ってますが、ペースは不明(笑)
当時はGPSウォッチも無い訳ですし、腕時計もつけずに走っていた為、とにかくK川さんと一緒に走るという作戦。今思えば3時間前半でゴールできるペースだったと思います。最長10kmしか走ったことの無い男がそのままのペースで走れる訳が無い!
という訳で10kmまでは順調に走ることができ、なんとか20kmまでは走れても、それから地獄を見ることに。かなり失速して歩きも入れていました。これは初めての経験。脚が棒のように固まり、何度屈伸したり脚を揉んだりしても今までのように走れず。
これがフルマラソンというものかと痛感しましたね。
エイドには救護班も待機していたので「棄権しようかな」と何度も考えました。
(初めてこんなに長い距離を走ったんだから、もうこれで十分だ)
そう思うものの、歩いてでもゴールできると考えて進み続ける。この諦めなかった点は当時の自分を褒めてあげたい(笑)
とりあえずサークルメンバー内で話題に上がっていた32km地点のアンパンエイドには絶対に辿り着かねばとか思いながら歩を進めます。相変わらず脚は棒状態なのでゆっくり走りながら進んでいたと思います。
そしてようやくアンパンエイドに到着!!
おそらく2個食べたと思いますが、これは格別に美味でした。今まで食べてきた中でベスト1に入るアンパンでした。まぁ、普通に5個ワンセット(今は4個セットですね)で売られているミニアンパンなんですけどね。
ちなみにメンバー内で一番たくさん食べたのは工学部所属のY先輩。8個食べたそうです(笑)
アンパンエイドまで辿り着いたら残り10kmです。その時の心境はどんなものだったか忘れましたが、もう棄権は考えていなかったと思います。タイムは全然気にしておらず、完走できたら良いという気持ちだけで進んでいたと思います。
そして残り3kmくらいだったと思いますが、それまで河川敷コースを走っていたのが土手に上がって舗装路を走ることに。ここから頑張って走りました。途中、立ち止まることもありましたが、若さと気合で頑張り、ゴールを目指す。
ゴール地点は公園の中だった記憶が。調べると阪急武庫之荘駅近くの公園がゴールでした。
そこに戻ってくると、先にゴールしていた先輩数名が出迎えてくれる。
初めてのフルマラソンを完走することができ、仲間にも出迎えられて感動……というものは実はありませんでした。ちょっとした感動はあったかもしれませんが、初フルマラソンのゴール時に思ったことは「きつかった~」というもの。それ以上の感想はありませんでしたね(笑)
そしてその1分後に我らがオーシャン殿がゴール!!
インディアンの仮装をしたランナー2名と一緒にゴールされた姿を今でも覚えております(笑)
しかし4時間台で走っていたオーシャン殿がその後、ワラーチでサブ3を達成する程のごっついランナーになるとは当時誰も思っていなかったでしょう。そして同じく4時間台で走っていた私がその後、13年連続DNFという記録を丹後で打ち立てることも誰も予想していなかったでしょうね(笑)
こうして初フルマラソンを終えた私でしたが、感想は述べたように「きつかった」というものだけ。
なのでその後、2002年までフルマラソンを走ることはありませんでした。
「これは面白い!」と目覚めるのはまだ先の話だったんですね。まぁ、初フル以降は塾講師のバイトが忙しくてあまりサークルにも顔を出さなくなっていましたからね。
それがマラソンに目覚めるのは大学院に上がり、塾講師のバイトを辞めてから。
何がきっかけでマラソンの面白さに目覚めて現在に至るかは……また別のお話。
機会があったらまた書きます。
以上が初フルマラソンである尼崎シティ国際マラソンの思い出ですが、いかがだったでしょうか?
何も知らない初フルマラソン挑戦者が陥るような見事な失速は若気の至りでしたね。
感動はたいしてありませんでしたが、これが原点であることには間違いありません。これを走っていなかったのなら、もしかして今は走っていなかったかもしれませんしね。
今回は以上です。ではまた次回の思い出話でお会いしましょう。
さてさて、そんな健康的なサークルに入って初めての冬、初めてのフルマラソンに挑戦した訳です。
その大会は「'98尼崎シティ国際マラソン」です。
当時のデータは以下のとおり。
【日時】1998年11月22日(日)
【会場】JR尼崎駅下車徒歩5分 尼崎市記念公園陸上競技場
【関門】18km(12:57) 24km(13:50) 33km(14:54) 38km(15:20) ゴール(start10:31から5時間30分以内に完走)
【参加人数】1605人
【参加費】4,800円
【参加賞】ゼッケン、完走証、エネルゲン
【給水】5km毎
【記録】4:09'05"
初フルマラソンということでしたが、走る前はフルマラソンがどういうものか解っていませんでした。それまでの最長距離は10kmぐらいなので、その4倍を走れば良いのか~といった程度にしか考えていませんでした。そう、甘く見ていたのです。
ちなみに当時の10kmのタイムは40分切るか切らないかぐらい。中学3年の時には36分台で走れてましたが、高校は帰宅部だったので自然とタイムは落ちます。しかし10kmを40分程度なので、単純に4倍とプラスアルファで3時間ジャストくらいでゴール出来ると考えていました(笑)
そう、私はアホだったのです。
サークルの先輩達は4時間前後。速い人は3時間前半ということで、もしかしたらサークル内トップになれるとでも思っていたのでしょうか? 当時の自分に声を掛けることが出来るのなら「フルマラソンをなめんじゃねえ!」と強く説教してやりたいです。
さてさて、当時の走る格好と言えば、やはり主流は白の綿シャツです。今みたいに吸湿速乾性のシャツなんてトップ選手以外は着ていなかったと思います。パンツは何を履いていたか忘れましたが、おそらくスポーツ店で買ったハーフパンツ。学生時代の時に一番よく使っていたランバードのパンツだったと思います。
ランバードという名が懐かしいですね。今はミズノに統一ですが。
ちなみにハーフパンツに下には普通にトランクスを履いて走ってました。実は今も履いて走ることは多いですが……。
そして一番大事なシューズなんですが、これが全く覚えていないのですねぇ~。
おそらく近所のダイエーで購入したランニングシューズだったと思いますが、メーカーは覚えてませんねぇ。とにかく安いシューズだったと思います(笑)
キャップは被っていなかったと思いますが、被っていたとしたら「但馬ミニミニ駅伝」のキャップだったと思います。村岡に住んでいた祖父の形見の品でして、これを被って高校の頃は近所をジョギングしていましたから。
装備はそれぐらい。ちなみにジェルは無し。当時はまだジェルは主流じゃなかったと思います。
5km毎に給水があるので、水分さえ摂取できれば問題なしという考えでした。ちなみにエイドは本当に水だけだったような気がする。スポーツドリンクもあったんかなぁ? あまり記憶にありません。
ただ32km地点にはアンパンがあるということだけ鮮明に覚えております。これはサークルの先輩方に教えてもらっていて、そのエイドで何個アンパンを食べるかを競っていましたね(笑)
そんな具合に水とアンパンだけを頼りに走るのが当時のマラソンだったと思います。
さて、それではレース内容について思い出してみましょう。
スタート時刻は10時31分という違和感のある時間。どうして10時半ちょうどではないのか?
残っている資料に10時31分と書いてあるので、それを信じて記しております。
さてさて、スタートしてすぐは先輩の一人・K川さんが見える位置で走っておりました。
コースは武庫川河川敷がメイン。陸上競技場からスタートして、しばらくは市内を走るようなコースだったそうですが、記憶にあるのは河川敷のみ。とにかく河川敷しか走っていないという記憶です(笑)
さて、K川さんについて走ってますが、ペースは不明(笑)
当時はGPSウォッチも無い訳ですし、腕時計もつけずに走っていた為、とにかくK川さんと一緒に走るという作戦。今思えば3時間前半でゴールできるペースだったと思います。最長10kmしか走ったことの無い男がそのままのペースで走れる訳が無い!
という訳で10kmまでは順調に走ることができ、なんとか20kmまでは走れても、それから地獄を見ることに。かなり失速して歩きも入れていました。これは初めての経験。脚が棒のように固まり、何度屈伸したり脚を揉んだりしても今までのように走れず。
これがフルマラソンというものかと痛感しましたね。
エイドには救護班も待機していたので「棄権しようかな」と何度も考えました。
(初めてこんなに長い距離を走ったんだから、もうこれで十分だ)
そう思うものの、歩いてでもゴールできると考えて進み続ける。この諦めなかった点は当時の自分を褒めてあげたい(笑)
とりあえずサークルメンバー内で話題に上がっていた32km地点のアンパンエイドには絶対に辿り着かねばとか思いながら歩を進めます。相変わらず脚は棒状態なのでゆっくり走りながら進んでいたと思います。
そしてようやくアンパンエイドに到着!!
おそらく2個食べたと思いますが、これは格別に美味でした。今まで食べてきた中でベスト1に入るアンパンでした。まぁ、普通に5個ワンセット(今は4個セットですね)で売られているミニアンパンなんですけどね。
ちなみにメンバー内で一番たくさん食べたのは工学部所属のY先輩。8個食べたそうです(笑)
アンパンエイドまで辿り着いたら残り10kmです。その時の心境はどんなものだったか忘れましたが、もう棄権は考えていなかったと思います。タイムは全然気にしておらず、完走できたら良いという気持ちだけで進んでいたと思います。
そして残り3kmくらいだったと思いますが、それまで河川敷コースを走っていたのが土手に上がって舗装路を走ることに。ここから頑張って走りました。途中、立ち止まることもありましたが、若さと気合で頑張り、ゴールを目指す。
ゴール地点は公園の中だった記憶が。調べると阪急武庫之荘駅近くの公園がゴールでした。
そこに戻ってくると、先にゴールしていた先輩数名が出迎えてくれる。
初めてのフルマラソンを完走することができ、仲間にも出迎えられて感動……というものは実はありませんでした。ちょっとした感動はあったかもしれませんが、初フルマラソンのゴール時に思ったことは「きつかった~」というもの。それ以上の感想はありませんでしたね(笑)
そしてその1分後に我らがオーシャン殿がゴール!!
インディアンの仮装をしたランナー2名と一緒にゴールされた姿を今でも覚えております(笑)
しかし4時間台で走っていたオーシャン殿がその後、ワラーチでサブ3を達成する程のごっついランナーになるとは当時誰も思っていなかったでしょう。そして同じく4時間台で走っていた私がその後、13年連続DNFという記録を丹後で打ち立てることも誰も予想していなかったでしょうね(笑)
こうして初フルマラソンを終えた私でしたが、感想は述べたように「きつかった」というものだけ。
なのでその後、2002年までフルマラソンを走ることはありませんでした。
「これは面白い!」と目覚めるのはまだ先の話だったんですね。まぁ、初フル以降は塾講師のバイトが忙しくてあまりサークルにも顔を出さなくなっていましたからね。
それがマラソンに目覚めるのは大学院に上がり、塾講師のバイトを辞めてから。
何がきっかけでマラソンの面白さに目覚めて現在に至るかは……また別のお話。
機会があったらまた書きます。
以上が初フルマラソンである尼崎シティ国際マラソンの思い出ですが、いかがだったでしょうか?
何も知らない初フルマラソン挑戦者が陥るような見事な失速は若気の至りでしたね。
感動はたいしてありませんでしたが、これが原点であることには間違いありません。これを走っていなかったのなら、もしかして今は走っていなかったかもしれませんしね。
今回は以上です。ではまた次回の思い出話でお会いしましょう。
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