第3回・丹後100kmウルトラマラソン回想記その③
~とっとと終わらせます~
回想記を書いてますが、書いてて楽しいのはスタート前までの話でした(笑)
レースの話となると、結局コース説明になっていつもと同じ感じですわ。
今回も既視感あふれる内容となっていますが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。尚、今回も画像は一切ありません。文章ばかりでしんどくなると思いますので、音楽でも聴きながらお読みくださいませ。
それでは前回からの続きです。今回でようやく終わり。
~碇高原を目指して~
弥栄庁舎エイドに到着し、預けていた荷物を受け取って着替え等が出来る部屋へ入りましたが、部屋の中はサロンシップ臭が漂っていました。これは今も変わらないと思いますが、ランナーが冷却スプレーを使用している為です。何人ものランナーが部屋の中で冷却スプレーを脚や痛めた患部に振りかけている為、そのような刺激臭が充満しているのです。
これはちょっと敵わない。
早くTシャツを着替えて出発しなければと思いましたが、50km以上も走ってきたのでなかなか足が動かない。冷却スプレーの匂いに耐えながら、しばらく休憩していた記憶があります。
そこでどれだけの間、休憩していたかは忘れましたが、シャツを着替えて出発。
そこからのコースの記憶はあまりありませんが、弥栄庁舎で休憩を多く取った為か走るスピードが上がらず、歩きが入っていたと思います。
その証拠にあじわいの郷で1.5km程の差があったKボリ君に追いつかれる。
そこからKボリ君と一緒に進みますが、Kボリ君も初100kmということで疲れていたようです。しばらく彼と一緒に歩いていました。
すると間もなく、オーシャン殿が追いついてきました。それはまだ60kmも到達していない地点だったと思われますが、歩いている僕達に対して「かなり余裕があるのでゴールは間違いない」といった助言を頂いた記憶があります。そしてオーシャン殿はそのまま走り去って行きました。
オーシャン殿が仰っていたように、その時はまだ「当然ゴールできるものだ」と思っていました。Kボリ君も同様に思っていたことでしょう。
オーシャン殿を見送った後、Kボリ君と僕は走ったり歩いたりの繰り返し。
暑くて大変だったのか、脚が売り切れて大変だったのか忘れましたが、この区間は本当に大変でした。碇高原まで上り基調でなかなかエイドに到着できない。
「誰やねん、このコース考えた奴は!!」
延々と続くように感じられる上り坂に愚痴を言い合っていましたね。
途中、道端に落ちていた木の枝を拾い、杖代わりにして二人で進んでいましたが、後ろから走ってきたランナーさんに注意を受ける。
「それは反則やで。自分の脚だけで走るんやで」
笑いながらそう言い、そのランナーさんは駆け去って行きました。
僕とKボリ君は「別にええやん」と愚痴りましたが、確かに杖を使って進んで行くのは周りのランナーに対して公平ではない。道具に頼らず自分の脚だけで進むべきと考え直したのでしょう。そこから木の枝を捨てて進んで行きました。相変わらず走ったり歩いたりの繰り返しでしたが。
~碇高原を越えて~
当時の碇高原も今と同じく71.8km地点だったか忘れましたが、厳しい上り坂を終えて碇高原牧場に到着。ここにも荷物を預けていたか忘れましたが、エイドにパンがあって、それを食べた記憶はあります。味は忘れましたが、当時は今と違って吐き気を覚えることはありませんでした。補給がうまく行っていたのでしょうか。ちなみに当時、ジェルは一切使っていませんでした。
さて、この碇高原で10km以上も一緒に進んできたKボリ君とはお別れ。70kmという初めて走った距離に脚が悲鳴を上げていた為、Kボリ君には先に行ってもらいました。
しばらく碇高原で休憩をし、残り30kmにも満たない距離を踏破すべく出発。
しかし全く走れない。脚が痛くて仕方がありませんでした。脚のどの部分が痛かったのか記憶にありませんが、とにかく脚が全く動きませんでした。
碇高原牧場を越えてからは基本的に下り坂。脚が残っているランナーならばここは走れる区間ですが、僕は一切走れませんでした。ただひたすら歩きました。
歩いて進んでいたので、後続のランナーにどんどん抜かれて行きます。
「抜かれても大丈夫。歩いてもゴールは出来る」
そう念じながら進んでいた記憶がありますが、しばらくすると後ろからランナーに抜かれることがなくなりました。ここで初めて不安を覚えました。
もしかしたら最後尾なんじゃないか?
もちろん最後尾ではありません。僕の後ろにはスイーパーの姿もありませんし、収容車も走っていませんでした。しかし誰にも抜かれないので勝手に最後尾かもしれないと思い込み、ここで僕の心は折れたと思います。
「よくやった。これだけの距離を走ってきたんだ。もう満足だ」
ゴールすることを諦めた自分を肯定するかのように、そう独り言をつぶやきながら、ひたすら歩いていました。
やがて80kmも通過したものの、ずっと歩いていたので完走できるかどうかは微妙なラインだったと思います。とりあえず進んでエイドに到着し、スタッフさん達と「ゴールに間に合うかどうか」の話をした記憶があります。
スタッフさんは「次の関門まで大丈夫。進んで行けば問題ない」と仰ってくれましたが、僕はもうこの時点で完走は完全に諦めていました。
とりあえずエイドを出発し、ずっと歩いていました。
歩きながら「どうやってリタイヤしたら良いんだろう」と考えていました。
僕はそれまでマラソン大会でリタイヤしたことが無かったので、その方法が分からなかったのです。さっきのエイドに戻って「やめます」と言えば良かったのだろうか等と考えながら歩き続けました。
やめることしか考えていませんでしたが、初めて80km以上を走ったという満足感があったので、リタイヤすることに何の躊躇いもありませんでした。
やがて大会車両が後ろから走ってきて、僕の横に付きます。
「大丈夫ですか?」
歩く僕を心配してか、そんな言葉を掛けてきたと思います。そこで僕はようやく「すいません。もう走れないのでやめます」と告げました。
~初めての丹後を終えて~
こうして僕の初めての丹後ウルトラマラソンは終わりました。
正式な距離は分かりませんが、もう少しで関門だったらしいので、おそらく83kmぐらいでのリタイヤでした。
後から話を聞きましたが、Kボリ君は関門時間ぎりぎりまで僕を待っていたようです。ありがたいことです。ちなみにKボリ君は無事に完走しました。もちろんオーシャン殿も完走。丹後3度目の貫禄でした。
そして僕はスタッフさんにリタイヤを告げた時は一切悔しい気持ちなど無かったのですが、ゴール会場に到着してから初めて後悔しました。
それは続々とゴールテープを切るランナーの姿を見ていて込み上げてきた感情です。100kmという距離を走破し、見事ゴールゲートをくぐり抜けていくランナーの姿は本当に感動的でした。自分が走ることができなかった距離を走り抜いたランナーの姿は本当に輝かしく偉大に見えました。そんな彼らの姿を見て、僕は「これは絶対にゴールしないと駄目だ」と思ったものです。
そう思ってもゴールできたのは14年後でしたが……。
当時の自分はまさかこれほど初ゴールに年月を要するとは思ってもいなかったでしょうね。
さてさて、初めての丹後ウルトラを終え、僕らは民宿に戻り、初100kmに関して色々語り合ったような気がしますが、そこら辺の記憶はあまりありません。
ただ翌日、両足はボロボロの状態で階段の上り下りが大変でした。帰りの電車で途中の乗換えが5分ほどしかなく、ボロボロの脚で階段を駆け上がった記憶があります。大変でしたが、あれもまた良い思い出です。
~これからのウルトラ~
以上が僕の初めての丹後ウルトラマラソンですが、思い返すと練習の最長距離が15kmでよくサブ10を目指したなぁと呆れるばかりです。
ただあの当時の自分は強かったと思います。タイムだけに限って言えばフルもハーフも今の方が断然速いです。しかし速さの問題ではなく、精神的な面だけで言うと当時の方が強かったですね。それはウルトラに対する無知と若さゆえの勢いもあったのでしょうが、あの無謀にもサブ10を目指した心の強さは見習いたい点です。
今の自分にはあの強さがありません。あの当時は訳も無く自信に満ち溢れていたと思います。あの頃の心の強さが今の自分にもあれば、今年の丹後は前へ進み続けることが出来たのではと思うばかりです。
やはり長年リタイヤし続けて自信を失っている部分があるかと思います。
それがこの数年、ウルトラだけでなくフルやハーフの結果にも如実に現れていると思われます。2016年のシーズンを終えてからは記録更新も無く、ウルトラにおいてはリタイヤばかりですからね。
正直、今年のウルトラマラソンは奥熊野、高野山龍神、丹後と最初から「駄目かもしれない」という気持ちが大きかったです。
それはそれで謙虚であるとも言えますが、やはり完走を目指すなら「俺はやれる!」という気持ちを強く持てた方が良いですね。そう、初めて丹後に挑んだ時のような気持ちが必要です。
今回の「回想記」は暇つぶしという理由もありましたが、これからもウルトラマラソンに挑戦していく上で「初心に還る」という狙いもあって書き上げました。
こうして書き終え、あの当時のような気持ちの強さを取り戻せたとは簡単には言えません。ただ今後のウルトラマラソンに挑んで行く上での決意表明のきっかけにはなったかと思います。
俺はやれる!!
今後のウルトラマラソンは全て「完走する!」という意気込みで挑みます。
(そう言いつつ、その後のウルトラでリタイヤすることが数回ありました・笑)
(そう言いつつ、その後のウルトラでリタイヤすることが数回ありました・笑)
以上、初めての丹後ウルトラマラソン回想記でした。
※2018年9月某日の記事より
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